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【四字熟語】②臥薪嘗胆

②臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

◎意味

 「臥薪嘗胆」は「仇をはらそうと長い間苦心・苦労を重ねること」、またそこから転じて「将来の成功を期待して長い間試練に耐えて苦労すること」を表す語となっています。復讐を成功するために苦労に耐えるという意味を持つ、中国の故事成語です。紀元前6-5世紀の呉と越の国家間の戦争に由来します。この成語の現在確認できる初出は、「嘗胆」のみならば『史記』巻41越王勾践世家ですが、「臥薪嘗胆」と揃った形では蘇軾(1037年 - 1101年)の詩『擬孫権答曹操書』中の句「僕受遺以來 臥薪嚐膽』(14世紀前半に成立)に求められます。明治時代の日本において、三国干渉が発生した時に、ロシア帝国に復讐するために耐えようという機運を表すスローガンとして広く使われました。

◎由来

 『史記』によると、紀元前6世紀末、呉王闔閭は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷がもとで病死しました。闔閭は後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えました。夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出しました(臥薪、この記述は『史記』には存在せず、『十八史略』で付け加わっています)。

 まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破りました。勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねたが、許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆(きも)を嘗(な)めることで屈辱を忘れないようにした(嘗胆)。その間、強大化したことに奢った呉王夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた上、先代の闔閭以来尽くしてきた重臣の伍子胥を処刑するなどした。ついに呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。夫差は降伏しようとしたが、勾践が条件として王への復帰を認めなかったために自殺した。

◎使い方・例文

「彼は臥薪嘗胆3年の末に司法試験に合格した」

「臥薪嘗胆すること10年の後、ついに悲願を達成した」

「臥薪嘗胆の日々を経て、公認会計士の資格を取得した」

「臥薪嘗胆の後、ようやく昇格を果たした」

「臥薪嘗胆の末に雪辱を果たした」

「その目的を達成するために臥薪嘗胆の日々を送っている」

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